大阪高等裁判所 昭和50年(ネ)1952号・昭51年(ネ)192号・昭52年(ネ)253号 判決
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【判旨】
一被控訴人らが訴外亡大宮義彦(昭和四六年三月一二日生)の実父母であり、控訴人らがいずれも開業医で控訴人里井は産婦人科、小児科、内科を、控訴人平山は小児科、外科、内科をそれぞれ専門としていること、被控訴人両名が昭和四六年九月一九日午前〇時一五分ころ控訴人里井方において同控訴人に対し右義彦の診断と治療を求め同控訴人がこれを承諾し、同時三〇分ころ義彦を聴診触診をし、解熱剤(坐薬)を使用し風邪薬を投薬したこと(第一回診療行為)、被控訴人両名が同日午前一一時三〇分ころ同控訴人に再度の診療を求め、同控訴人がこれにあたつたこと(第二回診療行為)、また被控訴人両名が同日午後〇時過ぎ控訴人平山方において同控訴人に対しそれぞれ右義彦の疾病について診断と治療を求め、同控訴人がこれを承諾し義彦を聴診触診したこと、同日夜控訴人里井が被控訴人両名から浣腸により血便が出た旨の連絡を受け市大病院に行くよう指示し、被控訴人両名が義彦を連れて同病院へ行き同病院医師の診察を受けたところ腸重積症である旨診断され、同医師において高圧浣腸による重積整復を試みたが困難であつたため開腹手術をしたこと、義彦が同月二〇日午前五時二三分腸重積症(五筒状重積症)に伴う急性心不全のため死亡したことは当事者間に争いがない。
二被控訴人両名は、控訴人両名が医師として業務上要求される注意義務を怠り義彦の腸重積症を風邪と誤診し、重積整復の時機を失わせ義彦を死亡させたものであり、前記義彦の死亡は、控訴人両名の診療契約上の債務不履行又は控訴人両名の共同不法行為によるものである旨主張するので、以下この点について判断する。
1 亡義彦の症状、経過
前記一の争いない事実と<証拠>を総合すると、次の事実を認定することができる。
(一) 被控訴人両名の長男亡義彦は、控訴人里井の医院で出生し同医院で一か月、二か月、六か月の健康診断を受け、同年四月二日消化不良症同年六月九日感冒の診療を受けたがまずは順調に成育していた。昭和四六年九月一九日(日曜日)午前〇時ころ、義彦は急に身体を反り手足を縮めて激しく泣き出し、飲ませたミルクを直ぐ吐き、三八度の熱が出ていた。
(二) そこで、被控訴人両名は控訴人里井に電話しその指示により前記のように午前〇時三〇分頃控訴人里井の医院で診断を受けた。義彦は青い顔をし、大声をあげて泣いていたので検温できなかつたが、嘔吐はみられなかつた。同控訴人は被控訴人リツ子の義彦の症状の説明を受け聴打診を行い、胸部、咽喉部に異状はなく、また腹部も柔かで抵抗に触れることはなかつたので、義彦が風邪気味である旨の診断をなし、解熱剤(坐薬)をその場で施用するとともに風邪薬を投薬した。そして義彦の症状の経過をみて心配なようなら昼頃また来院するように指示した。
(三) 帰宅後被控訴人両名は控訴人里井方で渡された薬を義彦に一回飲ませたが直ぐ吐いて了い、また寝かせるとひつくり返つて手足を縮めたりして泣き出し、抱いていると楽になるのか泣くのが収まるように感じられたので、被控訴人らが交互に抱いたりして夜を明かした。朝になつて熱は下つただけで病状は変らなかつた。
(四) 被控訴人両名は午前一一時半ころ車で控訴人里井方に再び義彦を連れて行き診察を求めた。同控訴人は当日が休診日で診察室の掃除をし床のワツクス磨き等をしていたため、待合室において被控訴人リツ子の抱いている義彦を視診しながらその症状を尋ねた。まず、同控訴人は便通の有無を尋ねたのに対し、被控訴人リツ子は青い便が一寸出た旨答え、また薬は一回飲ませたこと、ミルクやお茶を飲ませても直ぐ吐くことを説明した。その時は義彦はぐつたりした状態で泣いたりはしなかつた。被控訴人リツ子は同控訴人に対し茶やミルクを飲ませない方がよいのではないかと尋ねたところ、同控訴人は大丈夫だから飲ませてよいと指示したので、同被控訴人はその場で茶を与えたところ、義彦はこれを飲んだがその後間もなく吐き出した。被控訴人リツ子は義彦は腸が悪いのではないかと自己の懸念を質問したが、控訴人里井は「もしかして変な病気と違うとええねんけどな。」と独りごとを言つただけで、はつきりしないから様子をみる旨答え、掃除中のこともあつて聴打診による診察等はせず、消化器機能昂進剤プリンペランを調合して投薬しただけであつた。その際同控訴人リツ子に帰宅してから義彦に大人用の浣腸を三分の二位するように指示したが、その目的、必要性等についてなんら説明しなかつた。同控訴人としては発熱嘔吐に対する治療効果を意図してのもので、その時点では義彦について腸重積症の可能性をその症状からみて、積極的に疑つてはいなかつた。なお、同控訴人は腸重積症の診断をした経験は開業後一〇年間に二、三例に過ぎなかつた。
(五) 被控訴人両名は控訴人里井方で十分な診察をして貰えなかつたことに不安を抱き、帰途同年八月一三日に湿疹等で受診したことのある控訴人平山方に赴き同控訴人の診察を求めたところ、同控訴人も当日は休診日であつたが、快く診察に応じたが、被控訴人リツ子は診察までの間に付近の薬局で浣腸薬を買受けた。最初問診に対し、被控訴人リツ子は前夜来の義彦の症状を説明し、前夜熱が三八度あつたが今朝は三六度七分に下がつたこと、咳はあるが鼻水は出ないこと、ミルクを飲んだら直ぐ吐くこと、夜中から控訴人里井方で診察を受けているが、控訴人里井からは風邪らしいと云われていること等を話したが、同控訴人から浣腸の指示を受けたことは話さなかつた。控訴人平山はさらに聴打診等を試みたが、胸部に喘鳴音があつたほかには咽喉部に異常なく脈も呼吸も正常であり、苦悶状態という重症な状態も見られずまた、腹部を押えても一度は泣いたが腫瘤等は認められなかつた。同控訴人は右の熱があつたこと、咳があり、喘鳴音が聞え、嘔吐があることは感冒の症候群であるとして被控訴人リツ子に対し風邪らしいそのため腸も弱つていると診断し、症状を説明したが、その時には既に平熱であり、控訴人里井の診療を受け風邪薬の投薬を受けているとのことであつたので発熱に備えて解熱剤 坐薬)のみを投薬し、その使用方法を説明した。控訴人平山が診察したのは一五分程度であつたが、その間義彦は嘔吐はなく、腹を触診したとき以外泣いたりすることもなかつた。なお、控訴人平山は腸重積症を診断した経験は開業後一〇年間に三例程度であつた。
(六) 被控訴人らは義彦を連れて午後一時頃帰宅したが、その後も症状はあまり泣かないが好転せず、時折嘔吐する状態が夜まで続いた。その間被控訴人リツ子は控訴人里井から指示された浣腸をしなかつたが、それは従来浣腸により義彦が苦んだ経験があつたからであつた。午後八時ころになり被控訴人リツ子は家庭医学書「赤ちやんブツクス」で義彦の症状が腸重積症に似ていることを知り、また控訴人里井の指示をも思い出し、浣腸をしたところ血便が出た。被控訴人リツ子は直ちに電話で控訴人里井に浣腸したところ血便が出た旨連絡した。同控訴人はこれにより義彦の病気が腸重積症であることに気付き、直ちに市大病院の救急診療を受けるよう指示した。そこで、被控訴人らは直ちに義彦を市大病院に連れて行つた。
(七) 市大病院では同病院小児科槇野征一郎医師が同夜一〇時頃診察し、同医師は被控訴人らから義彦の症状、経過についての説明を聞き、また腹部(回腸部)の触診により腫瘤を触知し、さらに浣腸したところ、同医師の印象に残る吹飛ぶようにかなり大量の血便を見たことから、義彦の症状を腸重積症と診断した。当時義彦は顔面蒼白でぐつたりしていたが、心臓は正常であり、またチアノーゼの症状はみられなかつた。同医師は義彦の治療として、まず非観血的治療であるレントゲン透視下の高圧浣腸による重積の整復を試みたが、成功しなかつた。そこで、観血的治療法をとることとし、同夜一一時ころ義彦を同病院第一外科へ転送した。第一外科では山下隆史医師の担当で梅山教授立合の下に翌二〇日午前一時過ぎから開腹手術が行われた。義彦の症状は回盲部腸重積症で約二〇センチメートル重積し五筒状であつたが、血行障害の程度はそれ程進んでいなかつたため、同医師は腸管切除は行わず、徒手整復による整復を行い、重積部分を原状に復し、手術は午前二時ころ無事終了した。ところが午前三時二〇分ころから義彦は唇、爪等にチアノーゼが現われ始め、全身状態が悪化し、ステロイトホルモン注射、人工呼吸等の応急措置がなされたが効果なく、急性心不全で午前五時二三分死亡した。
原審における被控訴人義照の本人尋問の結果中の控訴人里井から浣腸の指示がなかつた旨の供述、原審における控訴人里井の本人尋問の結果中第一回診療行為に際し昼ごろに来診にくるよう指示したことがない旨の供述、原審における控訴人平山の本人尋問の結果中問診に際して義彦が激しく泣くことを聞かなかつた旨及び同控訴人が腹を触診したとき義彦が泣かなかつた旨の供述はいずれも、前掲各証拠と対比し、たやすく信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
2 腸重積症について
<証拠>によると、次の事実を認定することができ、これを左右するに足りる証拠はない。
(一) 腸重積症は腸管の一部が隣接腸管に嵌入して発生する疾患である。六か月以後の乳児期において男児に多くみられる。その成因については腸管の蠕動運動によるとか腸壁のけいれんによる等の説明もなされているが、確定的なものはない。発生部位としては回盲部が最も多く回盲部腸重積症と呼ばれる。腹痛、嘔吐に加え、血便、腹部腫瘤が本症の四主徴とされており、患児の少くとも半数はこれらの症状が揃うといわれ、診断はこれら殊に血便及び腹部腫瘤の存在を確認することによつて行われる。
初発症状としては腹痛が約半数、嘔吐は三分の一に、血便排出が始めに現われるのは一〇パーセント程度といわれ、典型的な症例の経過は、栄養良好な離乳期の乳児が突然腹痛のため火のついたように泣き出し、数分持続して寛解する。疼痛時には顔面蒼白となり、冷汗を出し、脈拍は細少となり、時にはシヨツク症状を起すことがある。疝痛性の疼痛が去ると小児はあたかも何もなかつたように再び遊び廻る。時間の経過とともに発作は強くなり、患児はだんだん元気がなくなり、全く笑顔を見せなくなる。その間は正常の便通嘔吐などがある場合が多い。患児は食欲がなくなり、だんだん本症特有の無欲状の顔貌を呈してくる。多くはこの程度の症状で小児科医を訪れ、浣腸されて血便が出て本症の疑いを受ける。そのころには嵌入腸管を腹部腫瘤として触れるが、腹部膨満が起らないのが二四時間までの普通の経過である。イレウス症状は、本症では一般に末期(二四〜二八時間以上経過)でなければ発現しないのが特徴である。
(1) 腹痛
突発的に始まる定型的な疝痛発作(間歇的腹痛)である。重積部腸管のれん縮等に起因して発生する。乳幼児では疼痛として表現されないので不意に泣き叫ぶ、顔面蒼白となる、下肢を縮めるなどの症状に注意する必要がある。この腹痛発作は嘔吐とともに腸重積症の初発症状であるが、しかし発病後間もなくは腹痛発作の間歇期には一見健康そうで正常に戻つたようにみえたりすやすや眠つていることもあり、また全経過を通して疝痛のない場合も少くない(乙第八号証(現代小児科学大系)では九ないし一五パーセント)。
(2) 嘔吐
腹痛とともに腸重積症の初発症状としてみられる。嘔吐は早期には反射性で末期になるとイレウスに起因するが、非常に頑固で何回も吐くことが多い。吐物は始めは乳汁そのほかの胃内容であるが、次第に胆汁様次いで糞臭を帯びるに至る(ただし胆汁様か糞臭かは重積部位によるということもいわれている。)。乙第八号証では七〇ないし九二パーセントの割合で嘔吐の症状がある。
(3) 腹部腫瘤
腸重積の先進部を触れるものであるが、単に抵抗として触れることも少くない。腫瘤は腸重積を証明するものである。重積は症状の進行に伴つて次第に形成されるものであるが、触診によりこれを確認しうるのは、相当時間経過後である。乳児の場合触診時泣いたりして診断が困難なことが多い。乙第八号証では五〇ないし八五パーセントの割合で腫瘤の症状がみられる。
(4) 血便
嵌入部のうつ血による出血と循環障害からくる粘膜の分秘増加のために起る症状である、腸重積症に必ず伴う症状であり、それを確認することによつて確定診断を行う。自然排便に伴つて起るのはかなり遅く、直腸指診又は浣腸による排便によつて証明されるのが通常である。発病後血便が証明されるまでの時間は一定していないが、乙第八号証では二ないし一〇時間が多く鑑定人によると平均14.3時間とされている。そして乙第八号証では血便は四六ないし九一パーセントの割合で見られる。
その他、腸重積症の場合発熱を伴わないのが普通であるが、乳幼児の場合には発熱を伴うこともあり、また感冒等発熱を伴うウイルス性疾患に続発して腸重積が惹起されることもあるので、この点は診断に際し注意する必要があり、腸重積誤診の落し穴は第一に発熱、第二に下痢である。
(二) 腸重積症は、前記のように通常疝痛と嘔吐をもつて始まるが、早期に確定診断することは必ずしも容易ではない。特に発熱を伴う場合は感冒又は感冒性の腸炎の症状と極めてまぎらわしく、その他腎盂炎、髄膜炎等も考えることができる。診断は前記四主徴を手掛りに進められることになるが、右のように腹痛、嘔吐をもつて確定診断をなすことは困難であり、また腹部腫瘤が形成されるのは相当時間経過後であるのが普通であり、また乳児の場合触診によつてこれを確知することは困難なことが多いため、確定診断のためには血便の証明が不可欠である。しかし、前記のように血便も相当時間経過しないと現われないことが多く、腸重積症の確定診断のためには、ある程度の経過観察は不可欠である。何れにせよ、乳児が激しく泣き、嘔吐する症状が続くときは腸重積の疑いを抱き、浣腸等により血便を出すように努め(ただし浣腸は普通第一回では通常の便が出ることが多く、更に一回浣腸する要がある。)、もし血便が証明されたときは、直ちに腸重積症の確定診断をなし、早期に適切な措置をとる必要がある。
(三) 腸重積症の治療方法としては、(イ)高圧浣腸により非観血的に重積を整復する方法と(ロ)開腹して観血的に整復又は罹患腸管の切除を行う方法とがある。発病後さほど時間を経過しないうちは、前者による整復が可能な場合が多いが、時間の経過により重積が進行すると、それが不可能となるため、開腹手術により整復するなどの方法がとられることが多い。かようにして、腸重積にはできる限り早期治療が重要であるが、非観血的療法を行うための時間的限界は発病後二四時間とされており、この時間内であれば開腹をしないで整復が可能であり、予後も比較的良好とされている。なお、腸重積症は放置すれば生命にも関する重大な疾患であるが、適時に適切な治療が行われる限り、これにより死亡率はさほど高くない。統計上非観血的療法では適応を誤らなければ死亡率は殆ど〇パーセント、観血的療法では2.5ないし15.5パーセント、そのうち腸切除による場合の死亡率は最高四五パーセント程度であるとの報告例もある。そして小児科医が扱う腸重積症は年に約二例と言われている。
3 控訴人両名の診療行為と医師としての注意義務について
前記認定のとおり、義彦の症状につき、控訴人里井が午前〇時三〇分ころの第一回診療行為及び午前一一時三〇分ころの第二回診療行為の時点で、いずれも今後の経過を見るが一応感冒と診断し治療として感冒に対する投薬をし又はこれを維持しており、また控訴人平山が正午ごろ感冒と診断しているが、義彦は腸重積症であつたから、控訴人里井は誤つた診断とこれによる誤つた治療をし、また控訴人平山は誤つた診断をしたものといわなければならない。
そこで控訴人両名の誤つた診断治療が医師としての注意義務に欠けているかについて検討する。
控訴人里井の第一回診療行為の時点では義彦の激しい泣き叫び及び嘔吐は始まつたばかりで、時間的にみて激しい泣き叫びが疝痛によるものであるかも明らかでなく、しかも三八度の発熱があり、腹部に異状を認めなかつたのであるから、前記認定事実に照しても、同控訴人が一応感冒であるとの診断を下しその治療をしたことは医師としての注意義務に欠けるという非難を受けるいわれはない。
しかし午前一一時三〇分ころの第二回診療行為の時点では腸重積症の初発症状として見られる激しい泣き叫びと嘔吐があつた午前〇時ころから一一時間以上経過し、その間泣き叫びと嘔吐が続いていることを控訴人里井は問診によつて知り、また義彦がぐつたりしていたのであるから、当初発熱があつたことを考慮に入れてても、腸重積症の可能性を疑い、問診、視診に終ることなく、聴診、触診を行い、自ら浣腸による血便の検査をなすべきであつた。
控訴人平山は一二時ごろ始めて診断したのであるが、問診によりさきに診療した控訴人里井が一応感冒と診断していることを知つても、被控訴人両名が控訴人里井の診療行為に少くともあきたらないで来診にきているのであるから同控訴人の診断に囚われることなく慎重に診断すべきであつた。そして問診により義彦の前記前夜来の症状を知り、また義彦がぐつたりしていたのであるから、触診により腹部に異状を認めなくても、腸重積症の可能性を疑い浣腸による血便の検査をなすべきであつた。
右のとおり控訴人両名は午前一一時三〇分ころ、正午ころの診断の時点で義彦の病気が腸重積症である可能性を疑う注意義務があり、右疑いにより直ちに浣腸による血便の検査を行い、仮に血便が検出されなくても、その後の義彦の症状に注意を払い被控訴人両名にその後の経過の報告を指示するとともに、引続き自ら又は被控訴人両名に指示して浣腸による血便の検査を行うべき注意義務があつた。
このことは乳児の腸重積症が珍しい病気ではなく、しかも早期発見を要する重大な病気であることからして、当時の医学水準に照らし開業している小児科の医師に対しても期待できる事柄に属している(現にその後の時点ではあるが、被控訴人両名が通俗的な医学書によつて腸重積症を疑い浣腸している)。
したがつて控訴人両名が感冒という誤つた診断をし、腸重積症を疑わなかつたことは小児科医としての注意義務に欠けるものといわざるをえない。
4 控訴人両名の過失と義彦の死亡との因果関係について
前記のとおり控訴人両名は午前一一時三〇分ころ又は正午ころの時点で腸重積症を疑い直ちに浣腸による血便の検査をすべき注意義務があるが、右時点で浣腸したとしても必ず血便が検出されるとは限らないことは前記発症後血便が見られるまでに要する時間(乙第八号証では二ないし一〇時間が多く、鑑定人は平均14.3時間という)によつて窺われる。しかし直ちに血便が検出されなくても腸重積症を疑つている以上時をおいて更に自ら又は被控訴人両名に指示して浣腸して血便の検査をなすべき注意義務があり、右注意義務に従つて浣腸がなされれば、本件において血便が発見された午後八時ころより相当以前に血便が検出された可能性が大きいことは、前記血便が見られるまでの時間のほか、午後一〇時頃であるが市大病院での浣腸の際、担当医師に印象的な吹き飛ぶようにかなり大量の血便が出ていることに徴しても窺うことができる。
そこで血便の検出が遅れたため腸重積症の確定診断が遅れ、したがつて治療開始の時刻が遅れたことが義彦の死をもらしたかについて検討する。
本件誤診によつて治療開始が遅れた時間は確定できず、また原審証人山下隆史も本件において開腹手術が早ければ死を免れたかについては証言をしない。しかし前記のとおり午後八時より相当以前に血便が検出された可能性が大きいこと及び早期に腸重積症と診断されれば危険性のない非観血的療法である高圧浣腸によつて治療の効果を挙げることができることからして、早期に高圧浣腸を行うことによつて死を免れた可能性が充分考えられる。また仮に高圧浣腸が不成功に終つても、早期に開腹手術を行うことによつて死因となつた急性心不全を免れた可能性も充分あることは、右開腹手術が危険な腸管切除によらないでこれより危険性の少い従手整復で手術としては成功していることに徴しても、考えることができる。
したがつて当裁判所としては控訴人両名の過失と義彦の死亡については相当因果関係があるものと判断する。本件において血便の発見が遅れたとはいえ、通常非観血的療法が適応するという発症後二四時間以内に高圧浣腸が行われながら死を免れなかつたのは、その症状が急激であつたことによるものと考えられるにせよ、関係人にとつて不運なことといえるが、このことによつて前記控訴人両名の責任が左右されるものではない。
5 損害<省略>
6 ところで前記のとおり被控訴人らは控訴人里井に第二回診療時において帰宅後浣腸をなすべきことを指示され、直ちに浣腸薬を買受けながら、義彦の苦痛を考え午後八時頃まで浣腸を延引したため血便の発見と控訴人里井への右発見の報告が遅れている。これについては同控訴人の指示が的確でなかつたことがその一因であるとはいえ、控訴人らの本件損害賠償義務発生の一因となつたものと認められるので、過失相殺をなすべく、その割合は控訴人らが四、被控訴人らが一とするのが、事案の性質上相当である。
(村瀬泰三 林義雄 弘重一明)